なめろうのひとりごと

日々のことを細々と綴るブログ

お客様の中に心の震える音楽はいらっしゃいませんか

 

気付いたらギター始めて5年経ってた。正直下手すぎて5年って言いたくないどうもなめろうです。

 

近頃、いろんなバンドの曲を聴き漁ってます。

クリスチャンミュージックとやらを聴いてみたらジーザスジーザス言ってました。ゴスペルに近いのかなと思ったらそのバンドのサウンド凄くノリが良くてファンキーな感じ。意外性。

 

さて、そんな感じでわさわさと聴いてるわけだけど、

 

心が震える音楽に出会えなくなったなぁ…

 

なんて思うようになってしまった。

歳でしょうか。

 

一般的に人って好みの音楽は青春時代に決まるそうで、青春時代に好きになった音楽は人生を通してずっと好きなままで、大人になると新しい音楽を聴かなくなってくるらしい。

 

今のバンドシーンを見て「ロックは死んだ」とか言っちゃうおじさんとかがいい例だよね。

違う世代のおじさんたちによって何回ロックは殺されるのか。輪廻かよ。死んだのはあんたらの世代のロックスターのほうです。(寿命的な意味で)

 

まあ、それはそれとして。

 

ざっくりと言えば、

それって昔の感動が今のそれを上回ることが無くなった今の音楽を受容しづらくなってきているってことで、

それってつまり心の震える音楽に出会えなくなったってことで、

それってつまり当てはめると…

 

ワシやないかい。

 

早くもおじさんへの一歩を踏み出してしまったのだろうか。。

バンド単位ではまだ「これだ!」というものには出会えてないけど、最近になってシューゲイザーの良さにズブズブと嵌っていってるからセーフ。だよね。

 

これからも新しい音楽には定期的に触れていかなきゃなあ。

 

Led Zeppelinを聴かないとダメダメ〜‼️そんなんでギター弾いてるの❓❔

とか言っちゃう限界おじさんにはなりたくない。Twitter覗くとマジでいるから怖い。

 

 

最後に、私が心を震わせたバンドの曲を紹介させてもらおう。

目を通すだけでも。よければ聴いてみてください。

 

ギターを始めるきっかけはこの曲でした。

 

the pillows、世界でいちばん好きなバンド。いつ聴いても涙が出る。

 

泥臭い音楽の美しさ。最高にかっこいい。

 

Helsinki Lambda Clubは3年前にライブで観て一目惚れ。今でも大好き。

 

cinema staffの奇跡はほんと全てにおいて完成度が高い。以前は敬遠してたけど、この曲からcinema staff大好き人間と化した。

 

自分の好きになった音楽の軌跡を辿るのって面白いね。どいつもこいつも音楽性がバラバラすぎる。

 

これを読んでいるあなたも、こうやって振り返ってみると自分のルーツを辿るような気持ちになれて良いですよ。

 

あなたが心を震わせた音楽はなんですか?

 

なにか、人に聴かせたい!って感じたものがあったら是非コメント等で私にオススメしてください。聴く。私の心を震えさせてくれ。

 

ここのところ1000字以上書けるようになってきたのでいい感じだなあ。やっぱ春休みに引きこもりキメたのはよくなかった。

 

今日はこの辺で。

では。

「ファインダー越し」の発見をしよう

 

私が友達と遊んだり彼女とデートをしに出かけた帰り道、いつもいつも「うわあ今日写真撮ってないな」と心のどこかで思っていることに気がついた。

 

私はほんとうに写真を撮らない。

街の風景も、面白いことも、友達との自撮りでさえ。

 

写真が嫌いなわけではない。むしろ好き。古いアナログの一眼レフを買うくらいには。

でも、なんとなく「写真を撮ろう」という思考に至らない。その場が楽しければそれで良くて、その様子を画に残す、という動作をついつい忘れてしまう。

 

それってなんだかもったいないなあ、と。

 

インスタやTwitterなど、SNSを少し覗くとハッシュタグに「ファインダー越しの私の世界」なんてついた写真がごろごろと見つかる。

 

私は正直今まで「そんなタグつけてSNSに写真載せるのって痛い」って思う節があった。

しかし彼らが載せる写真には必ず彼らなりの「小さな発見」があって、それに各々が価値を見出して1枚の写真にしている。

 

きれい、かわいい、面白い、不思議。

そんな「小さな発見」を見つけるって意外と難しいことだと思う。それこそカメラを持って出かけない限り。

 

「小さな発見」を積み重ねていくことにさほど意味はないのかもしれない。だけど、それこそ小さい彩りが自分の中に灯るし、その彩りが豊かさの証にもなる…気がする。少なくとも精神的には幸福度が高まる。

 

今は写真を撮る、という面でしか小さな発見について考えられないから分かりやすい「景色」とかにしか適用できないけど、こういうのって訓練していったらもっと幅広く小さな発見をできるようになるんじゃないだろうか。

人の表情から心情を察する、みたいな。全く根拠は無いのでべつに期待してはいないけど。

 

 

さて。

「小さな発見」は「彩り」で、それは「豊かさ」ひいては「幸せ」につながってゆく。

 

小さな発見は、小さな幸せ。

 

それを見つけるために明日からカメラを持って出かけてみます。

 

近いうちに、あなたにファインダー越しの私の世界を見せてあげよう。

 

では。

パルコとくだらない青春

 

私の地元には、かつてパルコがあった。

そう、パルコ。ショッピングモールの。

 

それが2年くらい前に閉店して今まで、当然のことながらそのパルコには一度も行っていない。

しかし今でも私の中に、ときどきパルコの記憶が波のように押し寄せてくる。

 

せっかくだから、パルコの記憶を綴ろう。

 

 

2階にはスタバと高校の頃気に入っていた洋服屋。

生まれて初めてスタバに行ったのはここで、高校1年の冬だった。当時仲の良かった友人に「ベンティおすすめ!」なんて唆されてオーダーしたフラペチーノ、デカかったなあ。あれは飽きた。トールでじゅうぶんです。

 

3階、広くGUのフロア。

何回もここで服を買った。まじでGUは高校生の聖地。(もうGUで買い物することは無いけど)

あそこの店員さんに凄く笑顔が素敵な人がいた。今でも接客をする上で、心の中の師匠。

 

少し飛んで…7階。

高校1年の春に初めてのギターを買ったのはここの楽器屋。それと、待ち合わせの時とか遊んでて時間が余ったときは用もないのに7階まで昇ってきてギターとかバンドスコアを眺めてた。「あっ、〇〇のバンドスコアある!」みたいな。しょうもねえなまじで。

 

8階には足しげく通ったヴィレッジヴァンガードと大好きなオムライス屋さんがあった。

ヴィレヴァンに行く度にUFOキャッチャーで動物のパノラマフィギュアを獲る挑戦をした。オムライス屋さんには彼女と2人でよく行ったし、中学の友人とは2人でオムライス食べた上に1個ずつハニートースト食べて満腹で吐きそうになった思い出が。

またあそこのオムライスを食べたいよ。

 

最後に、屋上。

高校3年の時、ここに彼女とライブを見に行った。滅多に登れない屋上は新鮮で、少し寒かった。

ここでたまたま観たバンドに一目惚れしたのは後にも先にもこの1回だけ。今でも大好きなバンド。

そしてその日の帰り道、私は生まれて初めてのキスをしました。

 

 

 

こうやってひとつひとつ思い出してみると、パルコには高校時代の思い出が嫌という程詰まっていることに気づく。それも「生まれて初めて」がすごく多い。

 

高校時代の思い出というのは、それと同時に青春時代の思い出で、かけがえのないものだったりする。

 

「なにもないけどね」なんて笑いながら、何度も何度も遊びに行ったパルコ。

駅から遠かったけどそんなことは気にならなかった。

 

きっと私はパルコが大好きだったんだろう。なんだかんだ。

そしてそれは今も変わらない。今でも「パルコに行きたい」と思う日がある。

 

あそこにはなにひとつ珍しいものなんてなかったけど、なにひとつ失っていいものはなかった。

 

こんなことでノスタルジーに浸って、深夜に涙を流す私は馬鹿でしょうか。いいでしょ。寂しいんです。

 

パルコは青春の一部で、私は時々その幻影を見てしまう。追いかけてしまう。

外された看板を付け直して、建物を囲う工事のバリケードを外して、賑やかな玄関口で私を迎えてほしい。

 

また行きたいなあ。

 

これからも、そんなことをぼんやりと考えながらこの街を生きていくのだろう。

 

 

私のパルコへの熱烈な愛の文章でした。

 

 

あなたには、記憶の中で今も霞むことのない記憶はありますか?

たまにはコーヒーでも飲みながら思い出に浸るのも良いと思います。

 

 

素敵な思い出をありがとう、パルコ。

今日はこの辺で。では。

こころをことばに

 

自分が嬉しかったり悲しかったりといった心の中の気持ちを、上手く文章にすることができない。

 

自分がどういう気持ちなのか?という問いがあったとしても、「悲しい」「嬉しい」「ムカつく」「幸せ」なんていう単語でしか表せない。それがなんだか悔しい。

 

人の気持ちというのはもっともっと繊細な動きがあって、きちんと言語化すればそれなりに長く、わかりやすく伝えられるはずだし。

でも、その手段を持たない私は「なんとなく」のざっくりとした語彙でしか表現できない。

 

 

そんなときに村上春樹の文章を読んだら、すごく文章がきらきらして見えた。

 

例えば「ノルウェイの森」からこんなシーンを。

 

それから彼女は僕の方を向き、にっこりと笑い、少し首をかしげ、話しかけ、僕の目をのぞきこむ。

まるで澄んだ泉の底をちらりとよぎる小さな魚の影を探し求めるみたいに。

 

これは「直子」というヒロインが動く情景描写でしかないけれど、それでもこんなに凝った比喩表現は、少なくとも今の自分には書けない。

 

そんな一対の美しい瞳が長いあいだ僕の中をのぞきこんでいた。

それから彼女は背のびをして僕の頬にそっと頬をつけた。

それは一瞬胸がつまってしまうくらいあたたかくて素敵な仕草だった。

 

読んでいるだけでドキッとするような、的確かつ美しい表現。

 

 

ここまで的確なものでなくていいけど、心の中を美しい言葉にできる人がうらやましい。

 

 

比喩表現ってすごく難しいんだろうなと思うけど、私もこうやって言語化していけたらなあ、と思う。

 

こころをことばに。

 

今日はこの辺で。では。

 

手遅れな神経質

 

バイト先の休憩室にいる時のこと。

お昼ごはんを買い、スマホをボーッと見つめながら食べ、さて食べ終わったぞと片付けてから、

 

「テーブル汚くね?」

 

と気付いた。

そういえばと思って自分の鞄の中を漁ると、ウェットティッシュが1枚。拭こう。

 

汚れも落ち、除菌され綺麗になったテーブルを見てご満悦。

汚れてるテーブルなんか触りたくないもんね。ましてや、突っ伏して寝るだなんて尚更。

 

と、ここでふたつの事実に気付く。

 

ひとつめは、私は神経質だということ。

 

ふたつめは、それが手遅れだということ

 

 

本当に神経質なのであれば、食事の前には必ず手を洗い、テーブルに汚れがあるのなら食事を始める前に気付くし、そもそも汚れなんて無かったとしてもウェットティッシュで除菌するはずだ。

しかし一方で私は、汚れたテーブルに気付かず食事をとり、その後で除菌を行った。

 

完全に手遅れである。

 

他にも思い当たることがある。

家に居て「ご飯だ」となったときは、気付いたら「食べた後」に手を洗っている。食べものの油とかがついた手でスマホやゲームを触りたくないからね。

 

 

いや、まず食う前に洗えよ。

 

 

外出先では食べる前に手を洗うけど、家の中だとなんとなく汚れていない気がするんだよね。

 

そのことを親に話したら、昔からそうだったらしい。幼少期に病気をもらいがちだったのは間違いなくそのせいだ。

 

 

だから、私は手遅れな神経質なのである。

多分だけど、これからも変わらないような気がする。少しは意識してみようと思うけども。

モンハンのせいでネタが尽きた

 

つい10日ほど前の話である。

 

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やってしまったよ。

Nintendo Switchを買うぞ…と数ヶ月前から意気込んでいたのに、モンハンの誘惑に負けてしまった。

Switchは近いうちに買います。ゼルダの伝説BotWを1月に先に買ってしまったからね。

 

 

さて、ブログに書くネタというのが最近全く浮かんでこない。

厳密には、浮きかけたネタを掴めない、といったところだろうか。なんとか絞り出そうとしたネタで少し書いてみたりもしたが、この1週間で2本ボツを作ってしまった。なんだか書ききれないんだよね。

 

なんでだろう、と思ったところですぐ理由が思い浮かんだ。

 

ああ、モンハンばっかやってるからだ。と。

 

単純かつ明快。しかし深刻。

 

 

私がブログを続ける理由は2つある。

 

① 数人程度とはいえ、せっかく読んでくれる人がいるんだから読んでほしい。自己顕示欲。

② 自分の文章力を上げたい。面白い文章が書けるようになりたい。

 

私はあまり「自分」という存在を世間に向けてアウトプットすることがない人間だと思っているので、このブログは「自分の表現」としてなかなか重要な役割を果たしているように感じる。

みんなに見てもらえれば嬉しいし、文章を書くのが上手くなれば将来少しは役に立つかもしれないしね。

 

しかし、モンハンをやってるせいでモンハン以外の情報が脳に届いてこない。

そして、更新が途絶える。

 

うーんこの。

 

モンハンをやめればええやで、と言うのは簡単なことなのだが、私の今の状況としては、

 

でもMHWやめられないんだけどwww

 

という感じ。

 

 

いやあ、ゲームをじっくりできるのはこういう長期休みぐらいだから…という気持ちの反面、せっかくの春休みはこれでいいのだろうか、という気持ちが否めない

 

バイト先の仲間は旅行に行ったりしてるみたいだ。羨ましい。次の春休みは絶対に海外旅行行こう。

 

春休みも後半戦に入るので、MHWやめられないんだけどwwwとか言ってないで、少しは有意義な時間を過ごそうと思います。

 

ところで、朝4時です。何が有意義な時間だよ、ばーか。

 

 

やめられないんだけどwwwネタ、汎用性高いよね。どうでもいいけど。

可愛いでは済まされない

 

先日、こんな夢を見ました。

 

 

どうもやるせない夢でしたね。素晴らしい。

 

ちなみに私が一番好きな女優はガッキー

ガッキーにこの夢に出てほしかったな〜、なんて思ったとき、すぐにそれは無理だと自分で否定してしまった。なぜか?

 

 

理由は簡単。「ガッキーとエロが結びつかない」からである。それほどまでにガッキーは尊い

 

みなさんは、ガッキーに対してエッチな妄想をしたことがあるだろうか。私は挑戦したことがある。

しかし無理だった。

 

なんでなのかわからないけど、ガッキー「エロ」結びつけることができない

ガッキーが裸になる妄想なんて、とても申し訳なくてできない。というかまずその画面を想像するに至らない。

 

 

以前、私はこの記事で白石麻衣のことを尊いと述べた。

 

しかしいくら尊いと思っても、私は白石麻衣のエッチな妄想はできると思う。

なんなら、今文章を書きながら少し妄想してみている。…うん、大丈夫だ。できる。

 

もしガッキーが逃げ恥で主演を演じていなかったら、こうはならなかったかもしれない。それほどにガッキー演じる「みくりちゃん」は良かった。

 

 

ガッキーは最高に、無限の尊さを秘めた女性である。可愛いだけじゃ済まされない。

 

 

「心がザワつく」のは白石麻衣「無限の尊さ」を秘めているのは新垣結衣

私はこのふたりを猛烈に推していこうと思う。

 

 

出だしで有村架純出てきたのに少しも触れなくてごめんなさい。何ヶ月か前に観たナラタージュの演技、よかったで。(その濡れ場シーンのせいであの夢見たんだわ多分)

 

 

…ふぅ……

 

 では。