読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なめろうさん日記

日々のことを細々と綴るブログ

習慣化の難しさ

 

2月の末、地元のスポーツジムが2ヶ月セットでかなり安く入会できるキャンペーンをやっていたので、「これを機に細マッチョに!」と思い、意気揚々と入会してみた。

 

春休みで時間もあるし、続くだろうと思って。

 

結果から言うと、2ヶ月で数回しか行かなかった。

 

筋トレがどれほど人生を豊かにするか(…と言うと筋肉バカみたいだが)、ということは痛いほど承知している。

かっこよく、健康になれるなんて素晴らしいじゃないか。

 

しかし、筋トレは習慣化できなかった。

自分に、甘えて…しまった…。

 

頭で分かっていても、どうも腰が重い。

なんなら、ジムの近くまで来たのに急に嫌になって洋服屋に行ってしまったことすらある。

 

 

 

あっ…習慣化以前の問題?

稚拙な文を脱したい

 

自分がブログをやるにあたって、他の方のブログを覗いてみることが多々あるのだが…文章が上手いんだなぁこれが。

 

文章が上手い、と言うと抽象的な上に堅苦しいかな。

正しくは、「記事が全体を通して読みやすい」ということ。

 

読みやすい記事を読んで思うのは、

「このテーマに対して、こういうエピソードを交えて、読者にはこれを伝えよう!」

ということがとてもはっきりしていると感じる。

 

比較して自分はどうだろう?

 

というと、なかなか難しい。

そもそも、ネタや伝えたいことがある度にブログを更新するというわけではないから、「書きたいこと」がいまいちハッキリしてこない。

 

あ…これが欠点か。勢いでここまで書いたらでかい欠点に気づいてしまった。

 

この欠点を埋めた上でさらに人に役立つような情報を付けられたら、本当に良いブログを書けているといえそうだ。

 

今の自分はまずそこを目指すよりもまず「書きたいこと・テーマをハッキリさせる」方が大事なので、こんな初歩的なところから始めてみよう。

問題は、テーマを思いつくかどうかだが…。

 

先はまだ長そうだ。

節約が無に帰す瞬間

 

最近、節約をしている。

貯金して旅行したり買い物したり、贅沢をしたいと思って。

 

そのため学校でもバイトでも、お昼ご飯は極力家で作ったものを持っていくようにしている。

食費を浮かせるためだ。100円単位でも貯金に回せれば、「塵も積もれば山となる」だろう。

 

しかし、そんな細かな努力が一瞬にして消し飛ぶ瞬間があることを知ってしまった。

 

今日、自転車がパンクしたので修理に出そうとしたら、「タイヤとチューブ交換しなきゃいけない」と言われた。値段は4000円

 

高い!!!!このチャリ9000円だぞ!!!!!!

 

さすがに長いこと使っている自転車なので、たかが修理に4000円も出すのはもったいない。

親に相談したら、自転車を新調することに決まった。

 

しかし…全額払ってもらえるはずはなく…。

 

100円単位で地味に続けていた私の努力は、この一瞬で無に帰してしまった。

 

出費額も痛いは痛いが、悲しいのはそこじゃない。

私の…努力の賜物が……。

 

結果的に新品の自転車を手に入れられたので良しとするしかないのだが、節約や貯金に対するモチベーションの低下は否めない。

 

明日からも地道な努力を続ける。少しだけ後ろ向きな気持ちを引きずりながら。

合理的な行儀の悪さ

 

ごはん屋に行くと、時々「スマホを片手に肘ついてご飯を食べている」人がいる。

それは若者とは限らない。大人にもそういう人がいる。

 

私はそれを見て、心の底から軽蔑するのだ。

なんて最悪な食い方だ、と。

 

しかし、なんでそこまでしてスマホに齧り付いていたいのか、という部分には興味がある。

なので、丁度漫画を読もうと思っていたし、帰宅してオヤツにたこ焼きを摘むときにちょっとやってみることにした。

 

 

なるほど。

 

合理的だ。

 

見た目は最悪そのものだが、「欲しい情報を目にしつつ腹を満たす」という部分には、合理的だと感じた。

ついやってしまう人が一定数いるのも理解できる。頷きはしないが。

 

まあ…絶対に人前ではやりたくない。そんなはしたない姿を見せるのはいかがなものかと。

 

ご飯は行儀よく食べようね。

花粉には勝てなかったよぉ

 

花粉にアレルギーを持つ私は、毎年特にこの時期は鼻水ズルズルで悲惨なことになる。

 

しかし今年は、大丈夫だと思っていた。

 

「飛散量は去年の4.4倍です!」というような話を聞いても、今年はむしろ例年よりも症状が穏やかで、油断していた。

 

そう、油断していた。

 

ここ数日の、気温の急激な上昇と共に爆発的に現れる鼻水。クシャミ。目の痒み。

 

耐えられない。ついに花粉が猛威を振るってきた。

 

アレルギーばかりは自力じゃ治りようがないというのが絶望だ。

なぜ神は人間に「アレルギー」を与えたのか。病気だってするんだぞ。あまりに無慈悲ではないだろうか。

 

今年も、花粉には勝てなかった。

機械的な生活は面白いのか

 

新学期が始まって1週間以上経つわけだが、大学に通っていると、どうも自分が「機械のように」生きている感覚に陥ってしまう。

 

もちろん、人間関係などプライベートな部分では感情の起伏がある。笑うし、怒るし、へこむ。

 

しかし問題はそこではないのだ。

学校とバイト先を往復しているような日常生活が機械的であると感じてしまう。

 

会社勤めの大人はみんなこうなのだろうか?

 

私は学生。年齢的には大人と言えるだろうが、親の扶養家族。まだ子どもだ。

だから大人の気持ちを想像してみても、まだ分からない。

 

ただ言えるのは、なんとなく「機械」のようだな…ということ。

 

「未来では、人々はロボットに職を奪われる」というような話があるが、それは大人が機械的であることを象徴しているのだろう。

 

できれば自分の未来はそうならないでほしい。だからといって、非凡なイマジネーションが私の中にあるわけでは無いが。

 

そして明日も私は、無言で通学、無言で授業を受け、金を稼ぐために働く。

 

ひとつだけ願いが叶うなら、私は間違いなく、3年前…つまり高校2年の「大人でもない、子どもでもない」時が再び訪れ、永遠に続くことを願うだろう。

 

なぜなら、あの頃は、思春期の淡い空気の中で確かに「生きていた」から。

 

 

話がそれた気がする。このへんで締めよう。

たのしい乗車率150%

 

今朝の話。

 

電車の遅延の影響で、通学の乗り換え駅はかなり混雑していた。

乗ろうと思っていた電車は来た時すでに乗車率100%と言えそうな程の満員電車であった。

 

「あー、これは1本見送らないといけないか」

と思った矢先、サラリーマンたちが乗り込む乗り込む。思わず私も負けじと突撃していた。

 

車内はまさに乗車率150%。「おしくらまんじゅう押されて泣くな」と子供の頃遊んだものだが、泣きそうなくらいのぎゅうぎゅう詰めであった。

自分の周り全てを他人がゼロ距離で囲む。四面楚歌。

 

しかしまあ、ここまでの満員電車となると、逆に楽しめてしまうことに気づいた。

今の自分の状況に諦めるしかないからだろうか。

 

手すりやつり革に掴まれない場所では、もう慣性の法則に従って他人に体重をかけざるを得ない。それが少し好きな瞬間だったりする。

周りも同じ状況である以上、迷惑ではないし。

 

そんなこんなで学校に着き、朝の人気のない広いラウンジでこの記事を書いた。解放感がすごい。

 

嫌なことでも、少しでも楽しむ余裕ができたら、人生はぱっと明るくなるのかもしれない。